お知らせ
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2024.10.30
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
平成7年(1995年)林八百吉商店は創業100周年を迎え、 平成11年(1999年)には札幌に営業所を開設しました。 名古屋、東京、大阪、福岡に加え 札幌の地でも営業活動が必要になったためです。 その後、札幌で帽子SHOP「アンシャポー」を百貨店の中に開店させました。
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2024.07.24
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
平成6年(1994年)の12月、中国天津に「天津林原服飾有限公司」という現地法人を設立しました。 出資社は、林八百吉商店と手袋メーカーです。 もともと手袋のメーカーは、中国に生産拠点と生産工場運営のノウハウがありました。 林八百吉商店には帽子の生産から販売までのノウハウがあったので 両社が組むことの効果を期待したのです。 現在では中国の工場は上海に移転し、「上海騰陵服飾有限公司」となり営業しています。
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2024.04.17
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
平成5年(1993年)2月、初めての世界的ブランドであるFIORUCCIとライセンス契約を結びました。 イタリア現地でデザイナーがアプルーバルをするという新しい時代になったと言えます。 この後、次々とライセンス契約をしてブランドライセンス戦略を進めていきました。 平成6年(1994年)11月、林八百吉商店は タイにアンタイス社と合弁で「A.Y.HEAD WEAR CO.,LTD」を設立しました。 この会社は帽子の型入れを中心とした会社でした。 「A.Y.HEAD WEAR」の...
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2024.01.26
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
平成元年、それまで社長を務めていた幸市郎が会長に退き 林幸和が社長として就任しました。 社長に就任した幸和は、社内機構の改革を打ち出しました。 その柱が事業部制です。 多品種少量、量販店の売り上げの伸びにコンピューターで対応し、 物流業務を営業から分離する事業部制にして、より迅速で正確な出荷体制が確立されたのです。
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2023.12.25
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
昭和56年の冬、ホットレシーバーブームが巻き起こりました。 八百吉でもかなりの量を販売しました。 昭和60年、林八百吉商店は創業90年を迎えました。 90周年記念として、社員を2班に分けてサイパン旅行へ行きました。
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2023.12.19
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
昭和50年代、林八百吉は急成長を続けました。 中国へ麦稈の買付、帽子の製造も始めました。 本格的な海外貿易の始まりでした。 昭和54年は、夏は天候不順、冬は暖冬異変という年でした。 しかも第二次石油ショックにより、日本は景気の後退ムードが漂い 昭和55年も冷夏となり帽子業界全体が苦しい時でしたが、 昭和56年に東京営業所を設立しました。 苦しい時のチャレンジでした。
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2023.12.01
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
80周年翌年、林幸市郎は名古屋帽子協同組合の理事長に就任しました。 そして、昭和54年には全日本帽子協会会長にも就任しました。 その責にはいよいよ大きくなっていきました。 この年、大阪営業所を建て替えています。
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2023.10.27
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
昭和60年頃からは、アパレルメーカーとの連携も進められていきました。 子供のアパレルが中心でした。 トータルファッションがうたわれる中で帽子もそれらに合わせて企画されないといけません。 企画が重要となり、企画力がさらに強く求められる時代に入ったのです。 下記はその当時に、作られた下敷きです。
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2023.09.29
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
80周年翌年、林幸市郎は名古屋帽子協同組合の理事長に就任し、 昭和54年には全日本帽子協会会長にも就任しました。 この年、大阪営業所を建て替えます。
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2023.09.25
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
昭和51年に導入されたコンピューターは 富士通のFACOMVOという、当時としてもかなり大型のものでした。 帽子業界では、コンピュータ化が進んでいない時代でしたので、はじめはうまくいきませんでした。 給与計算や、月報作成などから始めたのです。 コンピュータ室の社員は3名で、その中には大学を卒業したばかりの現社長、林幸春も配属されていました。 一日も早くコンピューターの威力を見せたいと 自社に見合ったプログラムの開発を急ぎました。 その結果、粗利益管理や仕入管理などもこなすよう...
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2023.09.14
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
昭和50年頃になると、売り上げが増え続けいき人手と伝票整理だけでは限界にきていました。 その頃大企業は、次々とコンピュータを導入し事務の合理化につとめていました。 いずれはコンピュータ化を進めなければならない事はわかっていましたが、 導入にはかなりの設備投資と人材育成が必要でした。 しかし将来に備えるため、昭和51年1月にコンピューターが導入されました。
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2023.05.23
ライブラリ&ヒストリー
128年の歴史
昭和48年からハヤシニュースという社内報が発刊されていました。 その一部を紹介していきたいと思います。 当時の社長による巻頭言からハヤシニュースは始まりました。 その後には本社及び各営業所の紹介が載っています。 社員のみならず派遣店員からパートさんの名前まで掲載していました。 最後には展示会でおでんを提供する記事や社員の結婚の話題などがかかれています。 このハヤシニュースの編集長は先代の林幸和社長でした。